男のフレンチ・テイスト 4

1960年代は、ブリティッシュに近いオーダーメードと、既製服ではアイビースタイルとアメリカン・トラツドぐらいの形・シルエットがあったぐらいで、大半の洋服は、ノンシルエットでした。


その後、次々とフランス・ライセンスやインポートものが入ってきて、現在は本格的シルエットの時代となり、世界中ほぼ同時ファッションの波が押し寄せています。


フランスには、世界中から芸術やファッションの成功を夢見て集まってくる若者があふれています。


高級ブティックが建ち並ぷセーヌの右岸、親しみやすい左岸、共に公園が多く、花が絶えることなく整備され、建造物や景観にも心配られています。


芸術を志す人だけでなく、街の人々は案外質素ですが、小さい頃から服装の彩りを親から常識として教わっているため、どこか垢抜けています。


世界からやってくる芸術を志す人々と、パリっ子たちとの調和によって、パリは薄汚れた裏通りまで絵になってしまう不思議な街です。


いわばフレンチ・テイストは、パリの夢を味わわせてくれるのかもしれません。

男のフレンチ・テイスト 3

フレンチ・テイストのものは、過激でない流行集団の中にいる安心感があり、素材的にもかなり高級素材を使用するところもイタリアンと一線を画すところです。


ミラノで活躍しているエルメネジルドゼニアなどは、その高品質とシルエットからしてフレンチ的でもあり、ヨーロッパ全体を包括するものです。


もともとファッションに際立った境界線がないですし、お互い影響し合うものですから、デザイナーやハウス・ブランドによって混じり合っているのが現状でしょう。


ところで、日本に初めてデザイナーズ・プランドの紳士服を持ち込んだのは、ピエール・カルダンです。


その次に、テッド・ラピドスが現れたのが、1960年代だったように思います。


当時のフレンチ・テイスト(ハイウエスト、フレアードライン、タイトフィット)は、現在のフレンチ・テイストと大きく違います。


当時、日本の既製服は、吊しといって地位が低かったのですが、ライセンス既製服で大いにイメージを上げました。


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ということになると、少々収入は少ないが、切りつめて預金を五〇万円残す。

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男のフレンチ・テイスト 2

フランチェスコ・スマルトは、オーダーメード紳士服から出発して、世界に冠たる男のトータルファッションを展開しています。


スマルトと同じイタリア生まれでパリ育ちのデザイナーに、ニノ・セルッティがいます。


最近の映画『プリティ・ウーマン』で、リチャード・ギア扮する滅茶苦茶ダンディな男の服装をディレクトしました。


概して、フレンチ・テイストの紳士服は、ブリティッシュより堅さを取り去った、洗練されたムードをかもし出しています。


どちらかといえば、イタリアン・テイストに近いけれど、しかしイタリアンと同じかといえば、そうではないのです。


概して、イタリアンの保守派に近いですが、数多いイタリアン・アバンギャルド(前衛)なところが少ないのです。


フランスのものがイタリアに近いのは、フランスのデザイナーにイタリア人が多いこともありますし、また、デザインはフランスでも、ファクトリー(工場)をイタリアに大きく依存しているからです。


メンズのフレンチ・シルエットの特徴としては、すべてイタリアほど過激でなく、肩幅は広め、胸のドレープもソフトで堅くなく、ウエストの絞りはブリティッシュほど絞らないソフトシェイプで、少しばかりゆったりしています。


襟のゴージライン(「く」の字型の襟の刻み)もブリティッシュより低く、イタリアンより高めであることが多いです。


ズボンもまた、ブリティッシュよりゆるやかなドレープがついた2本のタック付きが基本で、何事においても優美です。

男のフレンチ・テイスト

暮れなずむパリはとても美しいです。


凱旋門から眺めるエトワール広場の美しさは、あらゆる芸術の首都にふさわしいものがあります。


戦前には、ジャン・バトウもココ・シャネルもこの街で活躍し、戦後、もはやパリの時代が終わったかに思われた時、クリスチャン・ディオールがパリを復活。


また、ジバンシイは、オードリー・ヘプバーンの衣裳を担当し、『シャレード』等、数々の名画と共に作品を披露、そして未だ健在です。


そして今、世界で活躍しているデザイナー達によって、パリはモードの首都として君臨しています。


多くのパリやミラノのデザイナーは、ディオールに育てられたといっても過言ではないでしょう。


しかし、社交界は女性ファッションと共にあり、ようやくにしてレディス・デザイナーが男のファッションを発表、世界中の有名紳士服ブランドが、今やパリの香水売場かと間違えるくらい、香水と同じブランドが出揃っています。


その中にあって、男ものから出発したデザイナーが、今、素晴しい作品を発表して話題になっています。

背広の源流はブリティッシュにあり 2

背広の原型ともいえるラウンジ・スーツは現代まで大きな変化もみせずにブリティッシュ・スタイルという伝統的なスタイルをかたちつくっているのです。


アイビールックと呼ばれるアメリカン・スタイルも、ナチュラル・ショルダーのイタリアン・テイストも、ブリティッシュ・スタイルのディテールを少しばかり変化させたものといっていいでしょう。


このブリティッシュ・スタイルの原型であるラウンジ・スーツは、服地はウールのウーステッドで無地。


もしくは無地以外ならストライプかチェック、あるいはヘリンボーン。


色はグレーかダークブルー。


スタイルはシングルかダブルブレステッドという具合のものです。


現在、ブリティッシュ・スタイルは乗馬服のシルエットが基本になっています。

ウエストを軽くしぼり、背中や胸がゆったりするようにドレープがはいり、シングルでは2つボタン上1つ掛け、ときに3つボタン中1つ掛け。


ダブルでは6つボタンの2つ掛け、あるいは4つボタンの1つ掛けです。


この正統派オーソドックスの見本のようなブリティッシュ・スタイルのスーツが今、また新たに見直され始めているのは正統派ならではの強味でしょうか。

背広の源流はブリティッシュにあり

現代では、背広は男の服装の中心です。


その語源を探れば諸説いろいろありますが、そのうちのいくつかを紹介してみましょう。


一説には、背中の布地が幅広いため、明治の頃の仕立職人が名づけたといわれます。


はたまた、ロンドンのテーラー街、サビル・ローのことが日本でも話題になり、サビルがなまってセビロになったとか、官服に対しての[般市民の服、シビル・ウェアからセビロになったとかなどの説が伝えられています。


この背広のルーツを訪ねると1850年頃のイギリスに遡ります。


それ以前の男の服装は、テールコートやフロックコートにズボンといういでたちでした。


このコートの長い裾の部分を切り取って着やすくしたラウンジ・スーツがこの頃登場します。


これが今日の背広の原型です。


イギリスは産業革命の真っ只中、羊毛産業、とくに紡績が盛んでした。


この服地産業と結びついてつくられたニュースタイルの紳士服は、イギリス人の海外進出にともない、広く世界中に知られるようになります。

映画の歴史・・・その9

【ポーランド派】
1950年代、世界に衝撃をあたえる映画作家たちがポーランドにあらわれます。

アンジェイ・ワイダ、イェジー・カワレロヴィッチ、アンジェイ・ムンクを中心とする"ポーランド派"です。

ナチス占領とスターリン支配に揺れた母国の悲痛な歴史を体験したかれらは、鮮烈な映像造形で不条理な情況や存在を追求しました。

それぞれの作品に『灰とダイヤモンド』、審、『エロイカ』などがあります。

【プリー・シネマ】
1950年代、イギリスに起こった新しい記録映画運動です。

またはその作品のことをいいます。

従来の記録映画がもっぱら社会制度に目を向けていたのに対し、労働者階級の現実に焦点をあて、かれらの日常生活をありのままに描こうとしました。

リンゼイ・アンダーソンの『ああ、夢の国』(53)、カレル・ライスとトニー・リチャードソンの『モンマは許さない』(55)などで、個人を対象にするところや、詩的な表現、自由な構成がその特徴です。

監督のなかには、『長距離ランナーの孤独』(62)を演出することになるリチャードソンのように、劇映画の分野へと進出する者もいて、フリー・シネマの影響は60年代まで色濃く残りました。

映画の歴史・・・その8

大型映画とは縦横比1対1・33の標準スクリーンに対し、もっと横長のワイドスクリーンを採用した映画のことをいいます。

テレビへの対抗策として、とりわけ1950年代のアメリカで発展します。

方式はいくつかに分かれていまうs。

"シネラマ"は複数のカメラと映写機を使用します。

アメリカでは『これがシネラマだ』から始まるが、すでにアベル・ガンスが大作『ナポレオン』で、同様の方式を用いています。

"シネマスコープ"は特殊なレンズで横長画像を圧縮撮影し、拡大映写する。

『聖衣』が第一作でした。

"ビスタビジョン"は横幅の広い画像をそのまま拡大投映します。

最初に用いられたのは『ホワイト・クリスマス』です。

また、アカデミー賞を3回も受賞したフレッド・ジンネマン監督の『オクラホマ』(55)に代表される70ミリ映画など、大型フィルムを使用する方法もあります。

大型化は当初、大作だけにみられる片寄った現象だったが、いまやワイド・スクリーンは、標準的な画面サイズとなっています。

映画の歴史・・・その7

1940年代から50年代にかけてアメリカで続出した実験映画をアンダーグラウンド映画と言います。

60年代以降の作品も含め、"ニュー・アメリカン・シネマ"とも呼びます。

同時代のビート族が展開していた運動、すなわち既成芸術に対する反抗や実験活動と深いつながりをもちます。

特徴としては、映画産業からの独立を志向する反商業的姿勢、既成の社会的、芸術的価値観に対する反発、作家個人の主観性に重きをおいた視点などがあげられます。

また、映画それ自体の特性も探求しました。

代表的な作品にマヤ・デレンの『午後の網目』、ケネス・アンガーの『花火』などがあります。


【赤狩り】
アメリカでは第二次大戦後、映画界から共産主義者を追放しようとする動きが活発化し、1947年から54年にかけ、共産主義の浸透度を調査するため、多くの映画人が議会の非米活動委員会に召喚されました。

その結果、鋤人以上がブラックリストに載せられ、映画界を追われることになった。

なかにはエドワード・ドミトリク監督のように、証言を拒否して入獄した者もいます。

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